狐型人間&針鼠型人間

ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則

ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則


最終面接が終わって、連絡待ちで(でも、手応えはそれなりで)、もう一個が木曜に最終で、もう一個みたいところあって、今はそんな感じで。


アイザイア・バーリンの著書「針鼠と狐」で世間には針鼠型の人間と狐型の人間がいることを指摘している。これは古代ギリシャの寓話、「狐は沢山のことを知っているが、針鼠は唯一つ、肝心要の点を知っている。」に基づいたものである。


狐は非常に賢い動物で、様々な策を考え、獲物を捕まえようとする。針鼠を捕まえるために、巣の近くをうろうろしてチャンスをうかがう。巣から出てきた針鼠は狐の殺気を感じて、いつもの防御体勢をとる。つまり丸くなって狐の攻撃に備えるのである。この格好ではどこからも針が突き出しており、狐はいつものように襲い掛かることができない。狐はまた今日もダメだったとあきらめて帰りながらも次の作戦を考えている。
このシーンは日々形を変えて行われるが、狐が毎回周到に練った作戦で襲い掛かっても針鼠のとる防衛手段は「常に同じ」であり、「常に完璧」の防御手段である。


これを人間に当てはめると、狐型の人間はいくつもの目標を同時に追求し、複雑な世界を複雑なものとして理解しようとする。「力を分散させていくつもの動きを起こしており」全体的な概念や統一のとれたビジョンを考えようとはしない。
これに対して針鼠型の人間は複雑な世界を一つの系統だった考え、基本原理、基本概念によって単純化し、これで全ての行動をまとめ、全ての行動を決定している。世界がどれほど複雑であっても針鼠型の人間はあらゆる課題や難題を一つの単純な概念によって捉える。彼らにとって針鼠の概念に当てはまらないものは注目するに値しない。


社内スタッフとして働いていた某会社で自分はあるプロジェクトを一つ任された事があったが、そのプロジェクトは「派遣学生の確保」を目的としていた。しかし、当時、自分の中で目的は一体なんだったのだろうかと考え直して見たときに、当時は「プロジェクトメンバーの育成」であったり、「某企業と提携したPRの達成」であったり、目的自体がぶれていて、根本的に何のためにこのプロジェクトを行っているのかが見えなくなっていた。
しかし、同じ会社の支社長は「関西支社の利益拡大」を根本的な目的としており、全ての行動がそれに直結していた。例えば、その目的に対して理解を示さない社員に対しては容赦なく批判し、「関西支社の利益拡大」に直結するようなプロジェクトには介入させず、終始それ以外の仕事に従事させていた。(結局その社員はやめてしまったが)自分はプロジェクトの目的に対して理解を示さないメンバーに対しても、何とか理解させようと努力するのにかなりの時間を費やしてしまい、(それが目的に直結してたら良いのだが)それが何のためだったのかは今考えてもわからない。多分根本的な目的を見失っていたのだろう。
この時、自分は「狐型人間」で支社長は「針鼠型人間」だったといえる。


では、針鼠型人間になるにはどうしたら良いのか?
それは物事の本質をきちんと見抜くことである。上辺の行動に左右されずに、その根底には何が存在しているのか、きちんと「考える」ことである。
自分の傾向としては複雑化しての「考える」を行ってしまうので、単純化して系統立てた考え方をする必要がある。