僕の言葉に責任はあるか。

言葉に重みのある人間とそうではない人間がいる。いくら伝えることが上手くて、相手にとって耳触りの良いことが言えても、そこに『本当に変えたい』と強く思う心がこもっていないと、言葉が軽い。強く動かされない。

そして、心がこもった言葉を発せられる人には、その想いを育てた原体験がある。原体験を通して、世の中に対して自分はこう向き合う、こうあらねばならないと知らず知らずのうちに想いが醸成されていく。

僕にはそんなもの見つからない。いや、あったとしても育てることを怠ってしまったのかもしれない。

だから、僕の言葉がどこに向かっているか分からない。どんな立場でどこに対しての主張なのか分からない。今は会社の立場を借り物にして発言しているが、そう思う言葉はやはり借り物で、僕個人の発言ではないように自分で思う。

その言葉はどこか責任感に乏しい。

あと少ししたら、きっとこういうことにも気づかなくなる。麻痺してしまう。

その前に熱く生きてるってことを心から実感したい。