これはどうかと思うけど

まだ、下の本を読み終わってないです。普通に読めないです。いちいちメモしながら読んでいるので、マジで読むのに時間がかかります。今日APUから新しい本が届きました。や○から新しく本を借りました。誰かが、「本を読みたくてしょうがないけど、時間がない。」と言っていたのが心から判る気がします。本から得る知識が自分の今までの価値観をどんどん崩壊させるきっかけとなっています。自分はこれからどうなるのだろう?どこに向かっていくんだろう??


今日ふと気づいたこと。プレゼンテーションのテクニックの一つとして「明確な結論をまず先にしゃべること」があります。実際に就職活動で面接の際にも多くの人がこの手法を使っていました。プレゼンは「相手に自分を売り込む」といった行為になるわけで、でも、相手と自分は全く今まで接点がないわけですから、「どれだけ自分を伝えられるのか?」という点がまず最初に重要になるわけです。そのためのテクニックとして「明確な結論が最初」であるわけですが、明確な結論とは全ての話の帰結点です。この帰結点を最初に持っていくということは「その後の論の展開」を限定してしまうことになるのではないのかと思います。よく明確な結論からその理由まできちんとひとまとめで用意していく人がいますが、その人は「自分できちんと考えてきている」と思っていても、「無意識のうちに明確な結論に縛られた話」を用意してきているのではないのではないのでしょうか??「明確な」と入れたのは意味があります。明確な結論に縛られた話は一見論が通っていて非常にわかりやすく、アピールしたい点も明確であるために魅力的に思えます。しかし、それゆえ、自分から一人歩きしてしまい、身体をまとっている衣服のように逆に自分を隠すものにはなりえないでしょうか?でも、それに本人が気づくことはない。だって、その話は自分が生み出したものだと思っているから、それを可能にした環境には疑問も感じずに。


だからこそ、最近はわけのわからない質問をして、「形の整った」論を粉砕し、本当の自分を暴き出す傾向が某企業などには顕著だと思います。
「ピアノの発表会を聞きにきてんじゃねーよ!」「お前のことが知りたいんだよ!」就職活動をやっている立場としてこんなことを日々感じています。