{雑談]てゆーか、○○がマジすごいんだけどー!

「自分」を創るのは楽しい。


「自分」が代替価値が利かないものであればあるほど、自分の価値が増すからだ。


他の人と同じことを言っているなら、それは他の人に聞いたら良いことだ。「自分」じゃなくて良い。


会話において、その会話がどこかの誰かとも同じように行われている程度の会話ならば、それは「自分」と「相手」である意味はない。「相手」と「どっかの誰か」で良いはずだ。


○○が言っていたよ。という情報は、情報の所在・出元を明確にしてはいるけど、それはその人の言葉じゃない。情報が膨大になり過ぎていて、情報の出元を持っている人にも一定の情報が集まっているっていう意味で価値が出てきているのも事実だけれども、いったら、その人はつなぎをしているだけだ。人はその人を通り過ぎて、その情報の出元に行ってしまう。


「自分」は情報のつなぎじゃないだろう。「自分」は何を考えているんだろう。「自分」がその情報を「自分」に入れたということは、何かしら感じるところ、考えがあってのことだろう。大事なのはそれじゃないのだろうか。「自分」が感じることだろう。「自分」が考えることだろう。それは本当に「自分」だけのものだろう。


「情報」は価値がある。知っているのと知らないのとではエライ違いだ。でも、、、いろんな情報を入れすぎてもどうせ忘れてしまう。それに情報は時によってその価値も変わってしまう。


でも、変わらないのもある。それが「自分」の信念だったり理念だったりだ。「自分」はどんな世界を創りたいのか??どのようにそれに関わっていきたいのか?それは自分の個人的な体験によって生まれるものだから、絶対にその人だけのものであるし、一般論に還元する必要がない部分だ。


情報はいつでも入れられる(さっきからずっと極論だけど)、でも「自分」の信念・理念は変わらない。ならば、信念・理念を揺るぎない、強固なものにしていくことこそ、必要なことではないだろうか。それは単に頑固になるっていうことではない。いつ、何時、何を言われてもブレない「自分」を創ることだ。それを軸だったり、芯だったりと言うんだろうな。


でも、まだわかりにくいや。もっともっと言語化していこう。