なんやねん!言葉のキャッチボールって!?

人に情報を伝達できるという意味で優れたメディアだ。しかし、多分今ある言葉(日本語の)では数が少なすぎて、無理やり自分の気持ちを特定の言葉に押し込めなきゃならなくなっている。


『難しい』


って言葉でお互いの共有しているバックグラウンドは見える?お互いの頭の中に『難しい』情景が想像できる??できないなら、それはコミュニケーションできていないってことだ。相手が『難しい』って言葉を言ってきたなら、まずその『難しい』の中身を知らなきゃ。『難しい』情景が頭の中に思い浮かばなきゃ。


『オレがワタシが人間』『でもでも人間』は相手の情景を頭の中にきちんと思い浮かべているのだろうか。相手の情景を頭の中に描こうとしているのだろうか。それよりも自分の意見、気持ちを伝えたい思いばかりが先行していないか。


自分の意見を伝えることは大切だ。しかし、相手は、自分の話を聞いてくれない人の話を聞きたいと思うだろうか。自分は思わない。聞いてくれたから、聞いてあげる。これがフェアな関係だ。


話が合わない人がいる、価値観が合わない人がいる、そう言い切れるほど、相手の話を聞いたのだろうか?相手の情景を思い浮かべたのだろうか?単にお互いがお互いの言いたいことを言い合って、それが違うベクトルだったから、『合わない』のじゃないか。


え〜と、要するにオレが単独で使うだけでは超嫌いな抽象的な上位のカテゴリの言葉になおすと、
『会話ではもっとお互いのことを考えましょう』ってこと。