です。

hikosanhikosan2005-07-07


ハーバマスと公共圏 (ポイエーシス叢書)

ハーバマスと公共圏 (ポイエーシス叢書)

手をつけてみたけど、わけわからーん(T_T)


今日はまぁ、そういうことがあったけど、もう今は行動が「誰かのため」っていうんじゃなくて「自分自身のため」にシフトするようになってきたし、夢中になるものもできたから、特にへこみはしない。ま、会ったら少しは気まずいのはあるけれど、周りの雰囲気を凍らせたり止めたりするのはやめようなーと思う。見ているかどうかわからんけど、書いてみた。変な間合いっていうのかな。それが嫌でもあるし、こんなもんかなっていうのでもある。うまくまとまってない。そゆこと。とりあえず今までのお礼はいつか言いたいと。


勉強している。大学で多分初めてちゃんと机に座って勉強している。一つは資格の勉強。もう一つはミスターと話した内容が忘れられなくて、社会思想の本を読んだり。そこには様々な価値観が存在していて、非常に目新しい。毎日を刺激的に送りたいと思っている自分に新しい視点を提供してくれる。もっともっと刺激的な毎日を送るためにユニークな視点の注入は欠かせない。


友達と飯食ってバスケの写真をもらいに原谷まで友達のバイクで行った。霧出てる、深夜、人いない、山道ルート、しかも相方はマジで怖がり。黙って走ると怖いので、ドナドナを歌ったら、友達が「マジでやめてくれ!」と言ったので、別の曲を二人で大声で叫びながら夜の山道をバイクで走りました。霧が出ていて遠くまで見えないので、とても怖いです。はぁ心臓に悪かった。。。


家に着いた後は2時間くらい昔のバスケの試合をビデオを見ながら、自分達のプレーを冷やかしあってた。「お前のプレー、カスやな〜!」「ホンマへたれやな!」「お前いらんわ!!」「オレまじ最高じゃん!?」言っていることは乱暴だけど、心から気兼ねなく話せる気がする。今思った。森家と一緒の状態だ。やっぱりステアのメンバーといると笑いが耐えない。下らないことでも本当に大笑いできる。こんな仲間がいて自分は本当に幸せだ!何年、何十年経っても今と同じように大きな声を出して笑っていたい!!


その場の雰囲気とか、感情とか、うまく表せない部分はたくさんあって、そういうのをできるだけ言語化して明確にしようとはするけど、言語でうまく説明できない部分にこそ、何か大切な部分があるんじゃないかと最近思う。でもその部分こそもっとも共有したい部分だったりして、だからそこをうまく伝えられる人間になりたい。

 --------------共通の言語----------
 ↑                     ↓
 ----------------------------------
 ↑  この段階では伝達が困難  ↓
 人-------------------------------人

人は人同士でコミュニケーションする際には、言語をいったん介してお互い伝えたいことの意味を解釈する。つまり「言語にしばられている存在」であって、言語以外のことで自己を伝達する術を身に付ければ、さらに一段階上のコミュニケーションが図れると思う。

  • メモ-

学者やとるに足らない理屈屋だけでなく、商人や女性も含めて、様々な仲間と会話を交わす場合には、作り話をしたり、冗談を言ったりする他に、もう一つの娯楽、つまり議論があることに気づくのである。byイマヌエル・カント


「作り話をする」「冗談を言う」どちらも娯楽としては良いが、あくまで言語を用いて自分の存在を示すだけのマスターベーションの要素を孕んでいる。そこには相互のコミュニケーションはない。特定の話題について議論しあうことで相互の思考のやりとりが行われ、お互いをより知っていくことにつながるのではないだろうか、つまりは議論は高度なコミュニケーションの入り口であると自分は考えるのである。