何か面白そうなことができる!?&社会的に構築された虚偽の自己決定権について(女性の選択中絶を例に)&目的達成を意識した考え方へシフト→

かなり最強にアツイいのが水面下で進行してます!!これが成功したらマジ!マジで!!最高!!!!これに関心のある人だったら涎垂らしそうなこと!!もう少し形になったらの報告で・・・

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■社会的に構築された虚偽の自己決定権について(女性の選択中絶を例に)
インフォームド・コンセントという言葉がある。意味は【(informed consent)(以下IC) とは、医療行為(投薬・手術・検査など)や治験、人体実験の対象者(患者や被験者)が、治療や実験の内容についてよく説明を受け理解した上で(informed)、施行に同意する(consent)事である。】by wikipediaということだが、アメリカでは普及しているのに対して、日本ではよく説明もされないままに「はい、次は○○日に来てくださいね。」とか言われたりすることがある。日本ではそこまで普及してないか考え方である。これには患者に「知らせる」ことによって、患者を不安にさせ、その後の治療に影響を与えてしまう可能性があるという説明を反対派は用いているが、一方できちんとした説明をする賛成派もいる。まぁ患者にわからないような専門的な言葉を使ったり、病院によって説明が違うのであれば患者を混乱させるだけだから、そこら辺を何とかすれば患者に「自己決定権」を与えることは悪いことではないと思う(ちなみにアメリカでインフォームド・コンセントが発達したのは事後訴訟が多いからそれを回避するためだという考え方もある)自分の生命なんだから。


インフォームド・コンセントといってよいのかわからないが、最近では妊娠前に母体血清検査を行うことによって胎児の状態をある程度把握することができる。ここに商業的要素が入り込んで問題になった例がある。とある製薬会社が胎児が障害をもっているかを判断する「トリプル・マーカー検査」というものを無料で病院に提供していたときがある。(後に正式に商品化してシェア拡大を図る布石だったのだろうが。)医者も無料ならついでにやっておきますか、くらいの気持ちで妊婦の検査を行うのであるが、検査結果を渡される妊婦はたまったものではない。検査は1/300のような確率で表示されるのであるが、これが高い数字なのか、低い数字なのか、妊婦にとっては尋常ではない問題である。この確率は後の羊水検査を行う際にも必要になるからといって、メンタル面が大きく影響する妊娠の場合はインフォームド・コンセントを適用してよいものか疑問が残る。ちなみに旧厚生省は積極的に知らせる義務はないとしていた。


ここではもし子供が高確率で障害児として生まれてくると仮定した場合に、女性は産むべきか?中絶すべきか??選択することになる。実は母体保護法という法律では胎児の障害を理由とした中絶を認めてはいない。この法律が人工妊娠中絶を認めているのは1.母体の身体的・経済的事由 2.暴行、もしくは強迫による妊娠の場合のみである。出産前診断で障害児が生まれてくる確率が高いとわかった場合に、ほとんど選択中絶は1.母体の身体的・経済的事由を適用した上で行われる。


中絶を選択する場合、妊婦はどういう胎児を切り捨てる対象としてどう捉えるのか?「まだ人間ではない」と捉えるのか?「私の身体の一部だから、癌を取り除くのと一緒」という捉え方をするのか?


上記の問題について井上達夫加藤秀一が議論を戦わせた。井上達夫は人と人以前に線引きするのではなくて、堕胎の道徳性の問題を考慮するといった考え方をした。立岩真也『私的所有論』における「その人から切り離してはいけないものを奪ってはいけない感覚」を考慮するのと似ているものであろう。これに対して加藤秀一は、井上達夫を線引き論を否定している人が線引きをしていると批判した。要は胎児と母親を別個と考えるのか、胎児を身体の一部として処分する権利があると考えるのか?そういった考え方自体が『この問題を女性の問題として認識している』つまり、『男』から一線を引いた側にある『女』の問題として認識されていることを批判しているのである。おそらく今までの文脈から『男』の存在を読み取ることができなかっただろう。それくらい選択中絶が『女』の問題として認識されているし、制度もそうなっているのである(逆か・・・)。


キャロル・ギリガンのいうパラドックスの考え方を引用しよう。「男性は身体の自己所有を当然のものとして享受する。けれども女性は、現に、他者の欲望や欲求によって自己身体の自己所有を一部放棄させられている。そうした状況に対して男性と同様の『批判』をすると、女性に対して『個人主義者』『利己主義者』などの非難が与えられる。」


いつの間にか中絶は『女性』の自己決定の問題になってしまっているである。この自己決定権はもちろん真に『自己決定権』ではない。社会的な視線や風潮によって半ば義務化されたものである。


この現状に対して江原由美子は「女性の自己決定権とは、『妊娠した女性の身体』にのみに関わる問題として限定し『身体の自己所有』という論理で正当化するのではなく、できる限り社会的な文脈の中に戻していく作業必要である」としている。つまり『女性』の問題として捉えるのではなく、男女の関係性を考慮して両方に同程度の責任と権利が発生する方法を模索すべきだ、ということではないかと思っている。妊娠は女だけではできないからね。単純に考えたら二人でつくったもんがどっちかの身体にあるかだけの問題でしょ??
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ずっと悩み事があった。何かをやる際に目的達成よりも、周りの顔を気にしてしまったり、うまくいくのではないかという安易な想像ばかりたくましくしてしまっていた。雑念が混じりまくっていたんだよね。これ悩みだった。ずっと。。。でもね、最近意識して変わってきている。何を意識しているのか??物事をむやみやたらに楽観視しないようにしている。想像(妄想)レベルを抑えている。それよりも「目的達成のためにやること」を意識している。


今日、日経ビジネスアソシエのトレンダーズ創業者、経沢香保子の記事を読んだ。この方、勉強があんまり得意ではなくてMBAを諦めたり、とても怖がりで心配性だったりしたらしい。でも現在は3億円の売上を誇る会社の経営者として見事にやっている!何故か??それは「目的達成への強固な意志」があるから。口のうまさや周りとのコミュニケーション能力だったりとか、頭の良さとか、そんなもんは関係ないんだなって改めて思えたから。とても嬉しかった。

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「自己決定」できているか?周りの視線や風潮によっていつの間にか「義務化」されていることはないか??

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