『周り』と自分との関係性

今日は考え方凝り固まっているな〜と思われる人と渋谷でお喋りしてきました!でも結局そんなのはちょっと会っただけの自分の先入観で、話をふかーく掘り下げていくと、なんだかんだでアツイ思いをもった真っ直ぐで素敵な人でした。わかるのにちょっと時間が必要。だって強固な意志とクリティカルな視点を持っている人はなかなかおれの正反対のタイプだからね〜。イメージの共有化が大変なのね〜。まっそもそも近づいてきてくれているんだから、それなりに興味関心はある分、結果的に深い話が出来るんだろうけど。。。


■今日の会話で思ったこと。(別に相手がそうだではなくて)
・誰かが言っていることの上辺だけさらって、そのまま口にする人間にはなりたくないなー。
・変に凝り固まった思考は持ちたくないなー


何かドリゲ同期でライブドアの堀江さんに出資させた子とか、超でかいビジコンで優勝した子とか、そのほかにも出資をもらったり起業したりする人は沢山いるけど、その全部を意識してに「負けねぇ!!」って気持ちでいる。


「周り」は「周り」、「自分」は「自分」と変に割り切っちゃうんじゃなくて、周りの人全部をひっつかまえて同列に並べて、そいつら一人ずつ全員に『負けねぇ!!』言えるくらい周りの人を一人一人意識できる人間でありたい。だってオレと関わった人でショボいって最初は思っても、結局は刺激させてくれる人ばっかりだから、その人達全部を忘れたくないし、いつでも大事にしていたいんだよね!だから、その人達から感じたことを全部自分の思考に入れなきゃ行けないし、その人達一人一人の出会いを熱く語れるようになろう!!


何か自分のことを過小評価する人がいるけど、その人の人生を生きてきて、現在も生きていて、これからも生きていくのはその人だけだし、それだけで他の人と差別化にはなるんだよね。だから、そこで感じた経験とか自分論は誰でも熱く語れるはずなのに、それが上辺の言葉になってしまうのは何でだろう?その人なりの素敵な体験をアツく語ればそれは絶対にその人だけの経験なのにね。


あ〜、もっと「素敵に世界を見られるようになりたい!!」