〇⇔△


この2つの図形を比べてみたときに、自分はどちらでも図形だけど、形が違うなって思う。


でも、



だけだと、何のこっちゃ良くわからない。いやいや、でもよく考えると、この△でも□でも無い、「〇」っていうのは何か意味があるかもしれない。正解の「〇」かもしれないし。「〇」の下には何か一文字隠れているかもしれない。


じゃあ


ψ


はどう??「〇」の時と違って、「これは〜かもしれない」っていうのが頭の中で働きにくくない。「何だコレ?」が先に来るでしょ??


人間は、『2つのもの』もしくは『1つのものと自分の判断基準』が無いと、思考停止を起こしてしまう。例えばさっきのψは自分たちにあまり身近なものじゃないから、判断基準はできていない。だから、何か比べる情報が必要であるが、それも無い。そうすると、頭の中で脳みそ君が「わかんなーい」現象を起こしてしまうわけである。
例えば、さっきの、


ψ⇔ω


こうすると、どうだろう?ますますわけわかんなくなった(笑)?実はおれも同じようになってしまいました。たとえが悪い。しゃーない、即興だから。でも上のψが一つだけのときよりかは、「何か真ん中に一本線があんなー」とか「ωはお尻みたいに見えるから、右のψはお尻から何か出てるってことか?←下品」、何かしら言い易いんじゃないかと思う。


それは何故か?『2つのもの』もしくは『1つのものと自分の判断基準』が存在することによって、『差』の情報が生まれるから。2つの何が違うのか?1つのものは自分の判断基準と照らし合わせて、是か非か?そういったことがわかるわけである。


当たり前だって?そっ、当たり前なんだけど、この『2つのもの』、『1つのものと自分の判断基準』が無い状態で議論だったり、伝わっていると思って話していることが多いと思ったので書いてみた。


しかしこの文章。うーん。