相手を知ること

今の世の中いろんなものがすごい早さで動いているから、職場では常に素早い判断と迅速な行動が求められる。それが利益を産む源泉であることは確かなんだけど、一方で犠牲にしていることも無いだろうか。特に対人への判断では、一目見た印象・その人の部分的な行動・考え方のみ着目されて、こいつはこういう奴だと決めつけることが多い気がする。

そこで生まれる誤解・偏見が山のように積み重なっていくと人間同士の関係性が悪くなる。仲の悪い人間がそれぞれに後輩を持ち自分たちの偏見を伝えていくと、世代ごとに偏見を受け継いで余計に関係がギスギスしてくる。

本来ならば、世代ごとに横のつながりを活かして理解を深め、協働することがあるべき姿であると思うのだが、それも同じ世代ですらコミュニケーションが少ないために実現することができない。結果、非常に縦割り型の組織ができ上がり、組織横断的な新たな試みが生まれづらくなってしまう。

と大きく考えるとここまで行き着いてしまうかもしれないが、仲間や上司と酒を飲んでいて同僚や別の部署の人の悪口が大量に出るのはあまり良い気分ではない。クライアントも仕事のスタイルも会社から求められている役割も違う人間を一概に否定することはできないはずだし、そもそも相手のことを深く理解した上で発言しているかというとそんなわけではない。聞いてみると部分的なところでもって判断している。これは非常にもったいない。相手のことを知って有益な情報を交換する機会を損失しているし、新しい何かが生まれるきっかけを自ら潰している。

俺らのやっているのは採用という企業それぞれに違う形をもった業務支援である。業態・ポジション・企業風土・経営者・社員・人事担当。それら人間の関係性によって、採用の形は変化する。だからこそ、その本質は相手を知って、理解して、最適解をともに追求していくことにあるのではないかと思う。そんなサービスを提供している“はず”の人間が誤解と偏見で蔓延した組織をつくっているなんて笑わせてくれる。

普段のつらい仕事の中で不満を溜め込み、吐き出したいこともあるだろう。ただ、そればかりではダメだ。それよりも自分たちがどのような理想の姿を描き、どのようにそれに近づいていくか考える方がよっぽど楽しいし、効率的である。

俺は相手のことを知れば知るほど絶対に好きになれる確信がある。だから、上に書いたことは常にそうできるように心に深く刻んでおきたい。